双極性障害でした。

 

4月24日土曜日、

双極性障害と診断されました。

 

症状が出始めたのは去年12月。

バセドウ病の数値が正常値にもかかわらずひどい動悸や眩暈が職場にいる時だけ起こるようになりました。

 

まさか、とは思ったけれど、まあ多分、いつものバセドウ病の何かかな?とおもい、1月の甲状腺外来の定期検診で先生に相談してみることに。

 

先生曰く『数値は正常値の範囲内ですね…もし20分以上動悸の発作が続くようなら24時間体制で一度心電図を撮らせてください。』

 

とのことで…。

 

意識的に毎日動悸の分数を残すように1月は試みてみたところ大体平均して15分の発作が1日5日。

 

そういえば最近精神状態がおかしいぞ、と思い始めたのがちょうどこの頃でした。

 

症状の時系列をまとめてみます。

 

①2020年9月〜11月→深夜帯に涙が止まらなくなることが週に3日前後

②2020年12月〜2021年1月→出勤中ほぼ週5で動悸に襲われる

③2021年2月〜3月→在宅勤務になり動悸がおさまるようになるが、気分が落ち込む日々が続く

④3月〜4月→通常勤務に戻り気持ちの落ち込みが酷くなる(声に抑揚がなくなる、表情がなくなる)

 

②くらいの段階で相談した際に先生曰く

『もしかしたら心因性の可能性もあるので一度原因と思われるものから距離を置いてみるのも方法ですよ』と言われた。

 

4月まで様子をみて流石に友人からの指摘もあり病院にかかってみた結果がこれだった。

 

 

 

さて話は変わるが双極性障害で出される薬に関するリスクを少しだけ調べたので書いてみようと思う。

まず、私が処方された薬『リーマス』という薬についてだがこれはさまざま賛否両論ある薬であることが調べてみてわかった。

 

薬剤師さんにも問い合わせたところ、リーマスについては下記の点が注意ポイントだという。

①妊娠中の服用はNG

甲状腺の数値が異常値であるときの服用はNG

③長期服用には①、②の面でリスクが高いためあまり向かない

④痛み止めとの併用はNG

 

大体の精神薬は内分泌系に影響を及ぼすためバセドウ病の人などが服用するのはとてもリスキーである…。

 

ただ今の私の現時点での数値でそれらを服用することについてはなんら問題はないのだとか。

 

前回のブログでも述べたようにバセドウ病が精神にもたらす影響は大きいと私は思っている。

が、逆に今現在バセドウ病でなくても精神科に通院する若者は昔よりもふえてきている。

現に私の友人の半数が精神になんらかの不調をきたしている。

 

陰謀論界隈では電子機器が脳にもたらす影響がよくないだとか、逆に食生活の乱れが鬱の原因につながるとか、諸説あるがやはり急速な文明の発達に伴い人との関わり方の変化が原因なのではないかと思っている。

 

私が小学生の頃やっとブラウン管式のpcの授業が導入されたのを覚えているがその頃くらいからだろうか、日本の自殺率が高くなっているという話を耳にするようになったのは。

 

2021年、コミュニケーションの方法が昔とだいぶ変化していると思う。

 

小学6年生の頃全校集会で行われた『ネットリテラシー』の講義の内容であった『ネットの中の人とはあってはならない』という内容。

 

あれから十数年、今では当たり前になったオフ会や出会い系サイト。

 

常識は日々移り変わることをあの頃の私は知らなかった。多分それは私よりも年上の世代の人は尚更感じることなんだろうと思う。

 

さて話がだいぶ逸れてしまったが、この数十年の文明発達目下で生きてきた人間とそうでない人間では当たり前だが仕事に対しての価値観や努力のスタンスが違う。

 

それと同じくらいにかんじとってきたものというのも違うのだと思う。

 

結論から言えば『理解できない同士が無理やり集まってしたくもない団結をしてやりたくもない仕事をしてお給料を貰う』ことにたいする価値観が当たり前だが合わないのだ。

 

良くも悪くもなんでもある時代に生まれ時間の使い方を選択できるあくまでもワーキングプアの世代のわたしたちと、

得たものを増やしていきないものを自力で覚え作り出し経済の土台を作り選ばなくてもお金があった世代の人間たち。

 

理解できなくて当たり前、そう思いながらもコミュニケーションの壁は大きいな、そう感じる人はきっと私だけではないはずだ。

 

両方の世代には両方の世代なりの良さももちろんある。

ただ水と油はある程度の距離までしか交わることはできないのだと改めて感じた。

 

現代の人はある意味繊細ないきものだとおもう。hspという言葉が流行るくらいには繊細だと思う。

だから退職代行も流行るし謝罪代行なんていうのも出てくる。

昔は頭を下げて許してもらう、ということが安易にフラットにできる時代だったのかもしれないが現在は不況で少子高齢化で人材不足。

絶対だと思われていた年金制度に対する不信感。

 

そんな今を生きている他人を否定できる権利が誰にあるんだろうか。

誰が誰のための責任の押し付け合いをしたいんだろうか。

 

今はSNSでどこにいても繋がれるしどこにいても会話できるし誰にでも励ましてもらえるし誰にでも傷づけられてしまう。

言葉が紙切れみたいに薄くなる時もあれば刺さって抜けないナイフのように鋭く傷つけてしまう時もある。

 

適切な距離感、適切なコミュニケーションというのはいまだに私もよくわからないし、自信もない。

 

双極性障害と聞いた時やっぱりそうかと思う自分がいた。

この時代に生きるどの世代の人も責任がある人もない人も、生き方を選ぶ権利はあるし無理して頑張る必要もないのかもしれない。

がんばれないときは頑張らなくていいのかもしれない。

 

正解なんてないけれど何かに対する憎悪だったり嫌悪だったり苛立ちだったり、そういうのを感じずに生きられたらいいなと思う。

 

私は長い間負の感情に苦しめられてきてしまったけれど、もう少し自由に好きなことや好きなものに囲まれて生きる生き方をしても良いのかもしれない。