『しんどさ』ってなかなか伝わらない。
今日は私の病気について少しブログを書いてみようと思います。
私の家系は代々『甲状腺疾患』を持って生まれてくる家系でした。
実の父方の祖父は私が産まれる前に甲状腺癌が悪化し他界。
再婚した血のつながりのない祖父に至っては某有名大学卒で栄養学に詳しかったものの私の父も甲状腺癌を患い摘出手術は出来たものの、毎日のように甲状腺ホルモンを安定させる薬を飲み続けていた。
ー私が16歳の頃だった、『橋本病』と最初に病名を告げられたのは。
説明をするのもなんだか気が滅入るのでリンクをはらせてください。
【参考】https://doctorsfile.jp/special/083/
簡単にいうと甲状腺疾患は一種の免疫疾患だと私は認識しています。
甲状腺という喉のあたりにある蝶々型の臓器が体を元気にするホルモンの調整をしてくれており、それらが多くなりすぎるとバセドウ病に、少なくなりすぎると橋本病に、さらに悪化すると心疾患や癌に発展するということらしいです。
私がこの病気になったのはほぼ遺伝が原因だったようです。
とはいえ色々と本を読み漁ってもまだまだ未解明なことが多く薬物治療がオーソドックス。
それも年単位で飲み続けなければならないという病気でした。
大体転職の時などに人事担当に『甲状腺疾患でずっと薬を飲まなきゃいけないんです』と伝えると返ってくる言葉は『薬をのんでいれば業務に影響はないんでしょ?普通に仕事できるんでしょ?大したことないやつだよね。』なんて言葉ばかり…。
さて少し話が逸れてしまいましたが、初めて16歳の時に『橋本病』と言われて、その当時はまだ薬物を飲むほどでもなかったのですが、諸事情(後日またブログにしますが)があり22歳の時に『バセドウ病』と言われてメルカゾールの投薬が始まりました。
バセドウ病だと気付いたのは当時通っていた心療内科の先生でした。
16歳から20歳までに極端にストレスを抱えてしまった私は過呼吸の発作を週に3日前後起こすようになってしまい、パニック障害を患ってしまったのです。
お察しの方もいるかもしれませんが、私の家族の大半は精神的に不安定な人間で構成されていました。
ヒステリックで暴言が絶えない母とそれに耐えるだけ、私を置いて自分一人で安全な漫画喫茶などに逃げる父、怪物の娘だと罵ってくる父方の親族、うつ病で通院していた叔母。
バセドウ病や甲状腺疾患も紛れもなく精神的に影響が大きい病気なんですよね。
逆を返せばバセドウ病や甲状腺疾患を持っていてそれに気づかず精神病と誤診されることもあれば、甲状腺疾患と併発して心の病を発症することもあるわけです。
何がトリガーになって自分の病気が明らかになるかなんてわかりませんが、私はあの時あの心療内科の血液検査で本当に病気がわかってよかったと思う反面、いまだに治療なんてしたくなかったと思う日もあったりします。
その当時22歳の私の甲状腺の数値は普通の人の5倍以上高い状態でした。
そして始まったバセドウ病の治療。
その当時の症状は脈拍もすごく早く、普通の人の1.5倍から2倍脈が早くなるという状態でした。
とてもじゃないけれど仕事になんかなりません。
毎月毎月決して安くないお金を払ってエコー検査、血液検査、薬物投与。
横になっても辛い脈と夜中に目が覚めるほどのこむらがえりが数回。
いや『大したことない』ってなんだよ。ふざけんなよ。
ある一説では大きな精神的ストレスが原因でバセドウ病を発症した、という例もあります。
ただ精神病の部類にバセドウ病が属するのかといえばそれは頷き難いですが、めちゃくちゃ兄弟くらい近い病気の存在であるとは思います。
当時の私は脈の速さからか何を食べても痩せる一方でした。
体がそれだけ早く動いているんですよね、今考えてみればごく当たり前。
ただ唯一その時は痩せている自分がすごく綺麗に見えていたし、なんの服を着ても似合って見えていて嬉しいと感じてしまった時もありました。
ただ、そんな陰と陽の気持ちのぶつかり合い、気持ちはいつもぐちゃぐちゃでした。
治療を初めて3年。
やっと薬甲状腺の数値が正常値に入った今でも薬はずっと飲みづづけています。
そしていまでは体重は病気が酷かった時よりも10キロ増え、きれなくなった服を捨て同じ会社の人からは体型のことで甘えだとか運動をしろだとか言われ続ける日々です。
私だって工夫してきた。
慣れない運動だってしたし、ご飯の量を変えたりした。
でもこの短いスパンで消費できるカロリーが数千kcal単位で変わってしまうこと、見た目が悪くなること、何も悪いことなんてしていないのに太る体。
軽はずみに太ったとか、努力不足だとか、おまえになにがわかるんだよ。
何度も何度も笑顔の裏で相手を罵ってきました。
きっと父もそんな気持ちを抱えて生きてきたんだと思うと、父への憎しみが時折同情へと変わってしまいまた私の心はぐちゃぐちゃになるのです。
ただ言葉にできないくらいの気持ちに常に襲われて吐き出せないくらいにやり場のない悔しさを持って生きています。それでもきっと周りの人たちは理解はしてくれないと思うし、私の不自由な気持ちを背負わせてしまうくらいなら、この乱暴なくらいぐちゃぐちゃになった行き場のない言葉で誰かを傷つけてしまうくらいなら、くちを閉ざしてしまおうと思うのです。
きっと父がそうだったように、私も私の心の針山から目を背けてしまいたいなと思ってしまう。
甲状腺疾患は心も蝕みます。
たまに『辛い』『苦しい』が言えなくなるくらい。
気が遠くなるほど心が苦しくなる病気です。
自分がもしこれから生きていく上で同じ病気の人に出会ったら黙って寄り添って見た目なんか気にせずゆっくり過ごせる環境で安心してなんでも話せる時間を作ってあげたい。
すごくすごく不安だったし、今でもすごくすごく不安だから。
誰に向けて書いているのかわからいブログになってしまいました。
自分の心の一部として書き留めておこうと思います。
言葉って大事。